あまりの不安感に私は今まで生きてきた中で
初めて本当に「限界」だと思った。耐えられないと思った。
このまま生きていくのは不可能だと思った。
その不可能さは中学三年生でも感じていたが、
高校生になってからは本当に無理だと思った。
今までぼんやり考えていたことをはっきりと行動に移そう
と思った。
―自殺。
中学生のときもそれは考えていた。しかし「なんとなく」行動
には移さなかった。症状がたくさん出ていて、これ以上生き
ていくのは無理だと思った。そこで私は決断することにした。
「自殺をすることを」ではない。「自殺をするかしないか」だ。
私は選択肢を作った。
1.死ぬ
2.辛さを放置して生きる
3.少しづつでも何かしら努力して生きる
これを真剣に二日くらい考えて、決断した。
まず、自殺する場合。
方法はいくらでもある。自殺マニュアルをちらりと見たことも
あった。ただし楽に、完全に死ねる方法を選ぼうと思った。
私が死んだら・・どうなるのだろうか・・。いろいろ考えるうち
に、私は気がついた。私が死んだら親は「子を亡くした親」
になる。私が死んで悲しいかどうかは、私自身が感じる
感情ではないので、わからない。しかし肩書きは必ず
「子を亡くした親」だ。そして弟は「姉を亡くした弟」にな
る。その肩書きは親、弟共に生きている間は一
生消えない。私が死んだらそれを背負わせることになる。
そもそも、何故私は死にたいのだろうか・・・。
考えていくと、私はこの「辛い状態」から抜け出したくて
自殺したいと思っているのだということに気がついた。
そうか。私のこの「辛さ」がなければ、死ぬ必要などない
のだ。じゃあこの「辛さ」をなんとかすればいいのではな
いか。このとき、本と音楽も私を生の方向へ向かわせた。
ぐちゃぐちゃな頭でも、「感覚」を感じ取ることはできたのだ
。私の読んだ本は、「辛さ」が現れていた。その辛さを
感じることで、辛いのは私だけじゃない、と思えた。音楽も
歌詞なんてわからなかったけれど、辛さを表現していた。
辛さをわかってくれるのは本と音楽の世界だった。
私と同じ辛さではないのだけれど。
次に、放置した場合。
絶対に無理だ。この状態を放置して生きていけるはず
がない。辛すぎるので却下。
結果、私は3を選んだ。
どうにかしてこの状態を変えていこう、と思った。
このおかしな状態は、精神に関するものだろう、と思った
ので図書館に行き、心理学の本を何冊か読んだ。
そこに論理療法というものがあった。
「過去に不幸なことがあっても、そのために将来幸福を
味わえないということはない」という文を発見する。
そうだ。過去の不安にしがみついていても仕方がない。
問題はこれからどうするかだ。自分の辛さに対して私は
「対処法」なるものを考えた。電車の中での視線に対し
ては「寝る」「本を読む」などである。強烈な視線を感じる
のでそれと闘う方法である。教室では先生と目が合うこ
とが怖いので目を絶対に合わせないようにしていた。
このころの生活は、人間としての生活をギリギリのところ
で保っているという感じだった。とにかく「学校に行く」とい
うことをしようと思った。勉強なんかできないから、とりあ
えず学校に行こう。行くことで私は人間としてやっとここ
に存在することができるのだ。
自分との闘いだった。「このままおかしくなってたまるか」
と思っていた。一瞬でも力を抜いたら、負けてしまいそう
だった。自分で自分の状態を見ておける力は絶対に
離してたまるものか、と思っていた。この思いが症状を
抑えた、とは言えない。医学的にもそんなことは言えない
のだと思う。しかし、あのときに力を抜いていたら、マトモ
な生活を送れていなかっただろうと思う。普通に皆と同じ
ように卒業、進学はできなかっただろう。もっとも、そこで
私が力を抜いて、おかしさを露呈し病院に行っていた
方が私にとって良かった、という見方もあるが。私は
「普通」でいたかった。おかしくなるのが嫌だった。
皆と同じように普通に生活したかった。ただ、そのと
きに休養と薬で普通の生活が送れていたかもしれない
ということを考えると、少し残念だ。しかし既に、自分の
おかしさは誰にもわかってもらえないのだという考えを
硬く持っていたから、おかしさを訴えることはしなかった
。自分でなんとかしようと思った。しかし自分を見ておけ
る力、を残した、大半の私はどこかへ行ってしまった。
私がいなくなってしまった。
自分が病気だとは依然として思っていなかった。自分
におかしなことが起こるけれどもそれが病気だなんて
思わない。私が調べた心理学の本にも病気のことは
書いてあったはずだ。しかし、妄想を妄想だと思えな
い、幻聴?(なのかはわからないが)を幻聴と思えない
状態なので、わからなかったのだと思う。そのときは
とにかく「どうすればこの状態に対処できるか」という
ことを考えていた。
高校一年生のうちに、私はこの対処法で生きていく
術を身につけてしまった。辛いことは辛いが、その場
しのぎで耐えることができるようになった。教室では
ずっと下を向いていた。皆の視線が突き刺さるからだ。
私はおかしな、そして辛い世界で生きる方法を見つけた。
このときに一番必要だったのは、薬物療法だろう。
それを行わずに闘ったことに関しては、不幸だという見方
もあるが、これは私は「仕方がなかった」と思っている。
頑張らなくてもいいことを私は必死に頑張ってきたことに
なる。誰にもわかってもらえずに辛かった。しかし、世の
中、どうにもならないことはあるものだ。これは私が経験
すべくして経験した辛さなのだろうと思う。症状が出るまで
の人生の中で本当に辛い、と思ったことはなかった。
人はそれぞれが何らかの辛さを抱えて生きている。
その当時の私は人のことなんて考える余裕はなかった
けれど、今の私には人の辛さを感じることができる
幅ができたように思う。そして、もう怖いものは何もない
という思いだ。この経験以上に辛いことはない、と思え
るのだ。様々な年相応の辛さ、というのは経験するけ
れど、それを「辛い」と思わない。あの体験よりはマシ、
と思えるのだ。少々のことではへこたれない強さが
身についた。こう書くと、利得を強調しているように
見えるが、そういう風に考えることで私は生きていける
のだ。過ぎたことを悔やんだところで、辛いのは自分だ。
私はあのとき、1.を選んでいたら今はこの世にいない。
究極の選択を、私は間違えなかったのだと思う。
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